漁止祭 内海村柏崎には寛永3年(1706年)創建とされる地区の氏神「岩神社」がある。
今からおよそ200年前の享和3年(1803年)柏崎浦の網元久之Sのカツオ一本釣り船が由良岬沖合16キロメートルの「鮪子瀬」付近に出漁中に鯨の群れに出会った。鯨が船の近くで交互に跳ね上がり、海は大きな波とうねりとで船が転覆しそうになった。カツオ船に乗り組んでいた漁師たちは氏神である岩神社に一心に祈った。8月12日には絶対に漁に出ないから無事に帰らせてほしいと願をかけた。すると不思議なことに波は穏やかになって無事に帰ることが出来た。それ以来柏崎の漁師たちは8月12日にはどんなことがあっても漁に出ないことを申し合わせ、氏神さまへのお礼に麻糸を紡いで織り上げた幟旗を奉納した。この幟旗は今でも現存する。
 今では柏崎地区全体の祭りとして旧暦8月12日に開催されている。岩神社での神事の後、大人が担ぐ樽神輿と子供たちが担ぐ子供神輿とが神社の急な石段を下りて地区内を練り歩く。もちまきのあと漁船所有者のくじ引きがあり、岩神社、由良神社、竜王神社の三本でくじにあたるとそれぞれの神社名を書いた旗とお神酒が渡され、その旗を船首に立てて海上パレードの先頭にたてる。おまけに同僚の仲間からは着の身着のままで海中に投げ込まれる。これはくじにあたったものを祝福し、身を清めて海の安全と村の繁栄を願うという意味合いのものである。
秋祭り 新暦11月3日(文化の日)に行われる秋祭りで村内では柏・家串・魚神山の3地区で農作物の収穫を感謝し五穀豊穣を祈って昔から行われている。御輿や牛鬼、四ツ太鼓、獅子舞(荒獅子・唐獅子)、鹿子踊り(五ツ鹿)、相撲練などの練物で賑わう
五ツ鹿 愛媛県の南予一円、特に旧宇和島・吉田藩領一帯に数多く分布する郷土芸能。その由来については次のような説がある。元和元年(1615年)に戦国奥州の雄、伊達政宗の庶長子伊達秀宗が宇和島に移封されたが、元和4年に古寺を調査して宇和津彦神社を一宮と定めた。慶安年間(1651年〜)に一宮祭礼の練物として、奥州仙台から伝えた「ししおどり」を出すこととなった。野鹿の子を愛することを子々孫々に伝えようとの意図からである。宇和島城下の裡町1丁目から5丁目が担当し、以後8人が踊る「八ツ鹿」として現在まで伝えられている。明暦3年(1657年)に秀宗の五男伊達宗純を吉田藩3万石に分封し、「七ツ鹿」とし、その他の宇和島藩内は「五ツ鹿」とした。内海では5人が踊る「五ツ鹿」が柏・家串・魚神山の3地区で代々踊られている。
踊りは勢揃い、道行き、庭見、雌鹿の奪い合い、仲直り、帰国の順で、踊り子は太鼓の撥さばきも巧みに唄にあわせて所作をし、掛声をかけながら漸層的に場面を展開させ、鹿の子に扮した恋愛争奪の舞踊を可憐に演じている。
須ノ川観音堂縁日 須ノ川観音堂の開基は天正10年(1582年)といわれ、本尊は石に刻まれた十一面観世音菩薩である。開基については次のような口伝が伝えられている。
その当時内海の漁師たちが浜で網を曳いていると大変重いのでこれは大漁かと思って網を上げてみると大きな石が一つかかっており、がっかりして海の中に放り込んだ。それから何度も網を曳いてみると先ほどの石が上がってくるので漁師たちは呆れて海岸の岩の上に置いて帰ってしまった。
ある晩、須ノ川の修験者であった海源法印が、崖下の波打ち際に光るものを見つけ崖を下りてみると、岩の上に十一面観世音菩薩の姿が浮かんでいるのを見て、思わず合掌しその場にひれ伏した。そして自分の家に迎え、堂を建てて祀ったのが観音堂の興りである。
この観音様に祈願するときは「つべ返り」(でんぐりがえり)してお参りをすると観音様が喜んで願をかなえてくれるといわれている。これは観音様が海中で波にもまれてゴロゴロ転がって苦労したのを偲んだものといわれている。
須ノ川観音堂の縁日は旧暦の1月18日で、この縁日は昭和の初め頃までは参道に出店が立ち並び、その賑やかさは南宇和郡でも大変有名だった。今では須ノ川地区の有志で出店を復活させ、年々かつての賑やかさを取り戻しつつある。
家串の荒獅子 天正年間に土佐中村から移住してきた長曽我部氏の重臣、吉良親貞一族によって、大漁・豊作の祭礼行事として行われてきたものと伝えられている。また藩政期には伊達家の歴代藩主は由良岬最西端にある由良大権現を随時の祈願所として、由良岬で狩をするときには必ず幣帛を奉げていた。その狩の折には必ず家串の荒獅子を台覧し旅情を慰めていたと伝えられている。蝶を捕らえようとする獅子がかえって蝶に翻弄され荒れ狂う様を表現したものであるとされる。化粧を施し華やかな衣装に身をまとった太鼓を打つ少年が蝶を表現しているが、獅子は勇壮豪快ながらも女性的な曲線的所作を持ち優雅で華麗な舞となっている。
大正11年には摂政であった昭和天皇の台覧を受け、同じ年に東京三越から招聘され披露し、昭和31年にはNHK総合テレビで全国放送されるなど全国的にも有名になっている。昭和39年には村の無形民俗文化財に指定され、保存継承に努めている。
村内には家串の荒獅子と系統を同じくする魚神山の荒獅子と、家串とは対照的に男性的で直線的な激しい舞に仕上がっている柏の唐獅子があり、いずれも秋祭りで披露されている。
相撲練り 内海村内では家串地区にのみ伝わっている秋祭りの伝統芸能。愛媛県内でも伝えられている地方は珍しく、北陸地方の北前船のような商業船によって伝承されたといわれている。17人の子供が行司の呼び出しから取り組みと甚句による踊り練りを行う。
平碆白王祭 内海村平碆地区にある白王神社は開基等不明ではあるが、白色(源氏)をタブー(たとえば白王神社の前を通る時には白い鉢巻やタオルを身に付けてはいけないなど)としていることから、平家に縁のある神社ではないかといわれている。
毎年旧暦9月15日に奉納相撲を行っている。奉納相撲については以下のような口伝が残っている。いつの頃か定かではないが、昔平碆地区一帯に住民の3分の1が感染するほどの疫病が流行り大変難儀した。そこで当時の平碆の長が有志を集めてこの疫病を早く治してもらうため白王神社に願をかけ、年に一度奉納相撲をすることにした。すると疫病が下火になり住民も安らぎの日が訪れることになった。
ところが、それから17年後にたまたま何かの事情で奉納相撲を取りやめにしたところ、どうしたことかその年にまた疫病が発生した。それ以来この奉納相撲は途切れることなく、一年で一番明るい中秋の名月の晩に村内の子供たちや近郷他町村からも参加を得て、多くの見物客を招いて賑やかに行われている。