〜由良衛所跡を訪れて〜

由良衛所を訪れて

 我々隊員は全員以前にもこの由良衛所跡をそれぞれ個別ではあるが訪れたことがある。
 しかし、今回の探検の凄いところは、海軍の一員として衛所に勤務し、当時の様子を知る数少ない証言者の一人、写真家の原田政章氏と同行し、貴重な当時の話を聞くことが出来たことだろう。
 昭和20年原田氏は19歳だった。終戦直前の日本の海は米軍に制圧されており、原田氏は豊後水道に侵入する敵艦のエンジン音を聞き分け艦船の種類を判別することが主な任務だった。衛所の近くには兵舎や砲台もあり本土決戦に備えた設備が整えられていた。話によると、由良衛所には昭和20年4月に米軍機の総攻撃で最後を遂げた戦艦大和の生き残りの兵隊を含め300人ほどいたそうだ。7月24日には由良半島上空で、紫電改(日本軍戦闘機)とグラマン戦闘機(米軍機)による大規模な空中戦が繰り広げられた。原田氏によると、紫電改はグラマン8機を撃墜したものの、4機がやられた。そのうち1機は久良方面に墜落し、これが後に引き揚げられた紫電改だという。由良衛所は直接攻撃を受けなかったが、終戦後アメリカ軍によって爆破された。
 60年たった今でも由良衛所は、風化したコンクリートが残り生々しい当時の様子を今に伝えている。中でも聴音室などがあった潜水探知施設は全国でも最大規模だったようだ。
 原田氏はここを訪れるときには必ず戦友の供養のため花と酒を持参する。現場は木や草が生茂り前に進むことも困難な状況だが、原田氏の足取りは我々よりしっかりしていた。

原田氏は言う
 「こうやって見ると綺麗な海だが、60年前も今も海の色は何も変わらない。しかし、60年前にこの海が綺麗なと思って見たことは一度もなかった。」
 「戦争の無い世の中は良い世の中だと思う。ここにくるとどうしても60年前の太平洋戦争を思い出す。いやな思い出ばかりだ」

 当時、唯一原田さんがホッとできたのは睡眠の時。その頃の宇和海は緊迫した状況が眼下に広がっていたようだ。青春の一番大事な時期を過ごしたこの場所は原田さんにとっていい思い出は無いようだ。
 終戦の次の日、2機の紫電改(日本軍戦闘機)が由良衛所の上空を南の海へ飛んで行ったという。その2機は帰って来なかったようだ。戦争が終結したのを分かっていてどうして・・・・それでも当時の若者には、その気持ちがよく分かったのだろう。

最後に原田氏はこう語った。
 「60年前はいくら働いても貧しかった。今の日本は本当に豊かになり、平和になったと思う。いい世の中になったよ」

 たしかに日本は豊かになり平和になった。しかし、60年前に比べると失いかけているものがたくさんあるような気がする。物の豊かさと同時に心の豊かさをもとめて終戦後60年の今日、我々も含めてもう一度平和な世の中について考える必要があると実感した。
 由良半島の先端に今でも太平洋戦争当時の様子を生々しく伝える由良衛所跡。それは、戦争の無い平和な世の中を、平和の貴さを象徴するシンボルであり、愛南町の貴重な歴史遺産である。

 元気なうちは毎年供養に来たいという原田さん。そしてこの廃墟を自然のまま残してほしいという。それが平和の大切さにつながるのだと・・・・・・

うちうみホームページ作成委員会