〜油袋編〜

油袋地区の由来

油袋の名の由来は、油を流したような静かな袋のような入り江を持つ集落という事からつけられたという説があるが、いまいち説得力に欠けよくわからない。
 油袋地区には平家の落人が住んでいたのではないかという言伝えがある。また、戦国時代の長宗我部氏による南予侵攻において、油袋から船越運河側に山を越えた地区「大油袋」で地位の高い武将が討ち死にしたとの言伝えもある。現在の拝高神社の裏手に「てらやしき」という地名があり、そこから50基以上の五輪墓や人骨が発見されていることから、古くから人が住んでいたことは想像される。平家の落人が隠れ住んだかどうかはわからないが、御内村(現津島町)には南北朝時代に南朝方の懐良親王が落ちのび、それから薩摩に渡ったという伝承があり、この残党の墓かもしれないし、戦国時代における土佐長宗我部氏の侵攻時の戦って敗れた残党かもしれない。いずれにせよ、油袋のホノギ(小字よりも小規模な地名)に「しょうやだに」「てらやしき」などの地名があり、五輪墓のうち一つは高さ4尺以上のものがあることから、江戸時代以前には庄屋に相当するような地位の高い者が住んでいた独立の浦であったと思われる。以後どういう理由かわからないが、江戸時代になって家串の組頭吉良氏が支配するようになったと思われる。
 油袋地区が地区として独立したのは昭和25年で、それまでは家串の一部になっていた。したがって近世の文献に現れることはほとんどなく、寛文7(1667)年の「西海巡見誌」には記載がない。貞享元(1684)年編纂の「弌野」には網代(漁場のあるところ)として「ゆたい」「大ゆたい」「馬目かそね」などの地名が見える。おそらくこれが文献上油袋の名が現れる最初であろう。このころ人家があったかどうかはわからない。
 油袋の阿弥陀如来修理棟札に寛政5(1793)年5月15日の日付で「泉法寺檀家中 奉先峯開眼願主権平」との銘があり、少なくともこの頃には現代につながる人々が住んでいたものと推定される。油袋には「三軒油袋」が元祖とされ、前田、那須、五島の3家がそれにあたる。何処からきたのかはわからないが、前述の権平は那須家の先祖にあたるという。那須家の墓地には天明5(1785)年に没した権六、文政9(1826)年に没した半六、明治3(1870)年に没した権平などの名がある。
 中でも半六という人は面白い逸話を残している。ある日、半六が大油袋から帰ってくる途中、山の上から下を望むと自分の家が火事で焼けているのに気が付いた。しかし半六は慌てもせずに自分の家が燃えているのを眺めながら「半六が焼いてたたいてサツマかな、世間の人の世話の焼き味噌」と一句興じて詠んだ。那須家には代々この半六の句が語り継がれている。この火事で那須家の位牌も焼けてしまったので権六より前の代の人の名はわからなくなってしまっているが、少なくとも西暦1700年頃(元禄年間)には人が住んでいたのは間違いないだろう。
 大油袋地区には織田家、前田家、浅野家、黒田家など5軒ほどが江戸時代後期に家串浦から入植したが、明治後期までに油袋本浦に移住したため今では人は住んでいない。火打地区には明治時代に移住されたものらしい。
昭和25(1950)年、地区として独立した油袋地区は、同年に消防団組織を正式発足させ、昭和26年には内海村で一番最初に簡易水道を完成させた。
 内海湾は優良な漁場で古来から網漁が盛んに行われていて、特にイワシ網漁が盛んだった。油袋地区には「結出網」「住吉網」など3統の網があったが、昭和27年ごろイワシ網が不漁となり、油袋地区の網も他の地区と同様に日本海の丹後地方に出漁するようになった。しかし水揚げはあまり芳しくなかった。
 イワシ網漁の不漁による産業の壊滅的打撃を受けた中、昭和30年に全村を挙げての産業振興協議会が発足し、昭和32年にそれまであった三漁協を統一させ、内海村の産業再構築の体制を整えていった。昭和33年、油袋の織田平太郎を中心に家串の兵頭運喜、堀田寅蔵、加藤岩太郎らが油袋字マメカソネの沖で真珠貝の採苗を初めて成功させ、翌34年、家串油袋両地区民を説いて「家串油袋真珠組合」を組織した。当時一株2,000円が初年には1万円の配当を出せるほどの大成功を収め、珠入れ事業にも発展させた。
 しかし、内海湾は母貝漁場としては優れていたが、珠入れ漁場としては適してなく、珠入れ事業で利益をあげることはできなかった。昭和40年代初めの真珠産業の不況も重なって、昭和50年ごろ組合を解散して組合員それぞれの個人経営に切り替えた。真珠産業の爆発的好景気はこの昭和50年ごろから始まる。
 油袋の人々は団結力が強く、特に昭和56年から始まった村民体育祭では優勝5回、準優勝1回、3位2回などの成績を残すほど結束が固い。また公民館活動も熱心で、地蔵盆の復活や拝高神社の縁日、花火大会など地区を上げての新しい行事にも地区民がまとまって実行している。海の環境を守るため平碆地区に次いで漁業集落排水事業に早くから取り組み、平成14年の完成を目指して小規模下水道の完備を推進している。

※参考文献

大澤宏堂著「内海村史(上・下巻)
坂本達雄著「わが村の祖先研究」