〜網代・荒樫編〜

 豊後水道に突き出た由良半島の南側最先端に位置する網代地区。文化5(1808)年に開拓を始め、弘化3(1846)年集落として形成された。
 「網代海王」といわれた浦和盛三郎を生み出した海の集落である。

網代地区の由来   荒樫地区はこちら   網代地区PART2

明治22(1889)年、「網代海王」といわれた浦和盛三郎が当時の海洋強国イギリスを意識して建設した魚類製造家屋の当時の雄姿。

(2001)も往時の面影を残す浦和家魚類製造家屋。但し今は魚類の加工はしていません。
昭和25(1950)年頃の網代・本谷地区。明治初期に浦和盛三郎が修築した波除石垣がみえる。 現在の網代・本谷地区。浦和盛三郎が修築した波除石垣は今も残る。
昭和25(1950)年頃の網代・本網代地区。中央に浦和魚類製造家屋が見える。 現在の網代・本網代地区。魚類製造家屋の周りには真珠景気による鉄筋コンクリートの真珠御殿が立ち並ぶ。
明治19(1886)年に浦和盛三郎が村人とともに作った本谷と本網代を結ぶ「浦和道路」。子供たちの通学路として昭和30代後半くらいまで利用されていた。 「大運院殿功誉宝海盛徳居士」俗名浦和盛三郎の墓石。たぶん内海村で一番大きいお墓。